ガンと診断)母の病状と、子としての務めを果たさなければならない時がくる、

スポンサーリンク
家族

今回は重い話になりそうです。
あまり気分の良い話ではないので、若い方はここで引き返す事をお奨めします。
ただ、誰にでも訪れる事ではあると思うので、記事として残すかどうかはともかく、「記録」をして自分のために、書いていこうと思っています。

スポンサーリンク

始まりの時、、、

さて、大多数の方々は、「誰でも家族はいる」だろう。
どんな人でも母親の腹から生まれてくるのだし、今は天涯孤独の方でも最初は家族がいたのだと思う。


で、自分にも家族はいる。
我が家の構成としては自分、嫁さん、子のマコちゃん、そして自分の父(爺さん)、母(婆さん)の5人家族になっている。

自分の年齢も1月で57歳になった。会社員としての人生も残りわずかだ。
要は歳をとったものだ、ということになるが当然、私の親はもっと歳をとり、人生の終焉を迎えようとしている状況になってきた。それが自分の目に見えるようになってきた。

親父はボケが目立つようになってきており、食事も細くなり目に見えて痩せてきている。
終日、TVの前の座椅子に座っていて、ほとんど動かない。
ここ4~5年、ずっとそんな状態だ。その状態が改善され、またアクティブに動き回ることは、もう無いのだとわかってはいるが息子としては寂しいものを感じる。

そして、母の状況については、ほとんど突然やってきたのだ。

24年4月22日(月)

この日、婆さん(母)をお茶の水の有名大学病院へ連れていく。

自分が連れて行った理由は、なんてことはない。
爺さんのボケが進行していて、医者の説明を聞いても理解度が悪い状態は明白であったので、地元の「かかり付け医」からは医者には息子さんに立会してもらい病状はきいてもらうように、なんて言われて今回の大学病院への送迎になったのだ。
この大学病院、婆さんは約30年前に胃癌で手術している病院でそれ以来定期的に来て検査を受けていた時期もあった。
で、この大学病院は地元小岩の大型病院との医療提携と言って病状やデータ、患者の融通をしているらしい。そういうこともあり、以前にレントゲンとかの検査をしていたようで、その結果報告の場になっていた。

診療科は某内科、時刻は10時半予約。婆さんと診察室に入り先生の話を聞く。
その結果は、このときは驚くべきものであった。
なんでもレントゲンの結果は「肺にピンポン玉位の大きさの穴が開いているんですよ」、とのこと。
そのことは以前よりわかっていて、その穴についての調査結果の話だったのだが、どうやら原因はよくわからないらしい。


通常は癌、肺がんを疑うのだが、以前の検査でこの穴周辺の組織を採取し分析した結果、がん細胞は検出されませんでした、だから「癌ではないらしい」のですよ、というもの。
むしろ、カビが検出されており、このカビが悪さしているのかな?というニュアンスの話だった。

で、このときはさらに詳細の検査を行いたいので、ということでこの日は胸のレントゲンとPETという断層撮影を行い、帰れたのだが、診察の途中、婆さんはこんな事を言い出す。

「首が時々痛いんですよ。。。」

まぁ今回の診療科は肺についての呼吸器系の診察でもあり、首の痛みは。。。気になるようなら検査しましょうか、という程度の話だった。で、次の予約を入れておきましょう、そのときに今回撮ったレントゲンとかCTの結果を話しましょうと言われたのだった。その次の予約は5月20日。

このとき首の痛みは大したことは無く、普通の生活ができる状況だし、肺の穴についても痛みは無く自覚症状も全くない、とのことだった。

だから医者に来て検査していることも、「一応診ておきましょう」程度の軽いノリのものだったのだ。
婆さん本人は医者の先生に「いつ死んでもいいんですよ、だから治療なんてしなくてもいいんです。」なんて笑いながら言っていた。

このときまでは。。。。

24年5月20日までの間に起きたこと、

ゴールデンウィーク明け、なんか婆さんの様子が明らかにおかしくなってきている。
とにかく寝室から出てこない、、、、、寝たきり、、、、

起きてきても「首が痛いのよ。。。」と言うだけ。

あぁそういえば大学病院の診察の時に言っていたな、と覚えている程度の話。
その首が痛いんだそうだ。

で、地元の整形外科、小岩の大型病院等にかかりMRIまで撮ってきて、大型病院からは「癌でしょう」という見解を言われてきたそうだ。

どうやら首の裏の骨の部分に癌が出来ていて一部の骨が溶けているらしい、
骨が溶けているということは骨折同等ということで、そりゃ骨折なら痛くて我慢なんかはできないものだ。

なかなか衝撃的な話であったが、その話は5月16日頃のこと。
小岩の大型病院からは、「癌が進行し骨が完全に折れたら死ぬだけ」ということらしい。

婆さんもいいかげん82歳程なので死に対する宣告とか、あまり気にはならないようだが、
首の痛みだけはどうにかしてほしい、というのだがロキソニンを大量に処方されてはいるが
いくら飲んでも痛みは取れないのだ。

あまりに痛くて食事も喉を通らない、そんな日が続き始めた。

そうして5月20日がきた。

24年5月20日(月)

この日は月曜日。お茶の水の大学病院での某内科の診察日。時刻は10時半である。
自分は会社をAmだけの半日有休を申請し、上司に事情を話し、、、、

婆さんを病院へ送るために車を出す。

診察前に、採血とレントゲンを撮る。

で、診察が始まるが、その際には小岩の病院で撮ったMRIデータも渡す。
「なるほどね~」な訳だが、ここで撮ったレントゲンは胸部分なので首についてはカバーしていないため、ではレントゲンとCTとりましょう、なんて話になっている。
で、CTを撮った。このCTは某内科でのCTなので肺のCTを撮っている。
(首の痛みは、専門外になるため後日に整形外科での診察がスタンバイされることになる。)

9時には御茶ノ水の大学病院に入り10時頃から診察があり、急遽予約を入れたCTは午後だったのだ。
母は首が痛いので昼飯は食べられない、とのことなので、某内科で横にならせていただき、自分は御茶ノ水の駅前に行き、昼食を頂く。

昼食は、駅前の「三浦のハンバーグ」でデミグラスハンバーグを頂く。なかなか旨い。

13時過ぎ、CT終えた頃の時間帯を見計らって再度病院へ。

CTは終っており、会計なのだが、この会計がすっげー待たされる。

軽く90分位会計だけにかかり、超不満な気分になり帰ることになった。


で、某内科でわかったことは何も無い。肺の方は相変わらずわからないし、肺の下の方のリンパ節にもPET検査結果から糖の消費が集中している所があるので、これもガンだろう、とのこと。


なんだかんだで、朝から夕方まで病院にいた。
だから会社は有休。

24年5月21日(火)

前日に来ているのに翌日もまた御茶ノ水の某病院。
今回は整形外科で朝9時診察。
整形外科では、これまでのCTデータ、レントゲンデータが共有され更には地元の医院で撮られたMRIデータもディスクでもってきている。

そのデータを見て、「確かなことは言えませんが、頚椎に癌があり、周辺の骨が溶けている」とのこと。だから骨折同様の状況で非常に痛いのだ、とのことです。
まぁ地元の医院でも聞いていた内容を再確認しただけだが、ではどうする?について知りたい。
このころには母はほとんど日々の食事も取れず、1日に食べる食事の量は1回で、朝昼はほとんど食べられない。で、食べても「ごはん」はピンポン玉くらいの量しか食べられない。
おかずは、臭いがキツいと全然食べない。煮魚やおしんこは全然食べない。そのためかなり痩せてきている。

で、「体力的にも弱くなっているので、化学治療は難しいでしょう。」と話す。
化学的治療とは抗がん剤の投与のこと。
抗がん剤は副作用も強く、髪の毛が抜けるなんて言われている。つまり体力が無いと投与はできないのだそうだ。
で、手術の話はあるのかと思ったが、手術は全く考えに無いようだ。
首の骨のガンは手術で取れるものではないのだそうだ。
そうなると残りの治療方法は限られて、放射線治療しかない。

この整形外科での診察は朝の9時だったが、この整形外科では首の痛み中心に診察する。
で、ここでもレントゲン、CTを撮りましょうという話になり、
自分の腹つもりでは、朝の診察だけで帰れると思っていたのだ、「CTは11時に予約が取れました」と言っている。
で、CTの後に再度、整形外科で診察を行うと言っている。

つまりまたこの病院に夕方までいることになるのだ。

会社には、「すいません、今日も休ませて下さい」と申し入れ了解を得る。

それでも、再診察での話は、「明日、脊髄の専門医がきますので予約を入れましょう」という話になっていた。「え???また明日も????」

おいおい、非常に有難いのではあるが、自分個人としては何気に結構、精神的にキツい。

でもその診察を断る、あるいは後の日程に延期する、という選択肢は全く無い。
事態は一刻を争うのだ。

良いも悪いもない。「ぜひ、お願いします。」という答え以外、無いのだ。

ここまでかかった時刻は15時位。つまり連続で会社は有休を取ることになった。
ただ16時から重要な会議があり、それはZOOMで行いました。

ZOOMなら病院の駐車場からでも接続し、会議や打ち合わせに参加できる。

今時のテクノロジーはやはり有難いものなのだ、とうことを実感させられた。

ここから先は、この病院へ来るのに会社のノートPCは必須なものになった。

24年5月22日(水)

再度、御茶ノ水の某大学病院。この日はPMだ。診察は15時~

家から病院へ行くのに約1時間。だから今日は半日有休だ。

ちなみに、この日、5月22日Amは仕事で展示会に行っていた。
この展示会、New環境展2024と言って廃棄物業界の展示会。毎年行っている。
で、今回も行っている。
後輩と一緒に東京ビッグサイトの中を2時間程歩き回り、ヘロヘロになりながら家に帰る。

家に帰れたのは昼の12時半。ここから母を連れて病院だ。

さて、今回は脊髄の専門医の診察。
診察時の話はかなり深刻感満載。

既に「手術は無い」「抗がん剤も無い」という前提で話が通っているので、残りの方策
である「放射線治療」の話になる。

放射線治療は
・1週間ないしは2週間行う。(5日で1週間というカウント)
・1度、2週間の放射線治療を行ったら、延長とか時期を開けての放射線治療は無いらしい。
・1回の放射線照射は10分程度。2週間は10回の照射になる。これが1サイクル。
1サイクルの放射線治療を行ったら、後は経過観察のみの模様。
で、放射線治療は、がん細胞の弱体化、死滅を狙うものなのだが、完全にはがん細胞は無くならないようだ。

だから母の場合、「がん細胞を弱体化させ、がんの進行を遅らせるのです。」と話していた。

なんとなくはわかってはいたが、

「根本的に治す事はできないのだ。」ということがこの時に確定的にわかった。

もう母は健康になって日々の買い物とか1人で外に出ることは無いのだろう。

整形外科では、首の骨を固定化するためのギブスを作るための予約を入れて帰ることになった。

24年5月27日

この日は11時位に首のギブスを作るための予約を入れている。
ギブスを作るためには、病院へ本人を連れて行かなければならない。
だから、この日も終日の有休を取り、病院へ連れていく。

病院へつき次第、地下の放射線治療科でギブスを作成。
ギブス自体は市販品(売店で買える)を先生に調整してもらう。
ま、単にカッターでウレタンを切るだけなのだが、流石はプロなので本人にフィットしたギブスが完成して母は納得していたようだ。
ちなみにギブスは地元の医院でも貰っていたが、調整が出来ないタイプだったので首にフィットせず、全然ギブスをしていなかった。だから余計、首が痛いという悪循環になっていた。

この日は1時間程で病院を終わる。でもAmから動き出し、PMにかけて病院にいるという状況なので、会社は全休でないと対応できない計算だった。

かなりサラリーマン的には心理的につらい。
しかし上司の理解もあり、休ませて頂けている。

でもこの日は、なんとかAMに病院が終わり、偶然も作用しギブスを早い時刻に作ることが出来、昼には解放された。

終日の有休を訂正し半休にし、PMは、仕事で電車に乗り品川方面へ。
15時の面談予約の業者様に会う事が出来た。

次は31日だ。

24年5月31日(金)

これまでの診察の中で以下の予定になっている。

6月3日、某内科診察、整形外科診察
6月10日、入院→放射線治療開始。
6月24日、放射線治療最終日。多分退院。

この日は放射線治療のガイダンス日。
具体的には、放射線治療を行うに当たりの説明だが、照射場所が首ということもあり、
首を固定するための「お面」を作らなければならないらしい、
そしてその「お面」を作るためのCTを撮るとのこと。

そのCTとお面製造は6月3日に予約を入れてもらった。

この日自体はガイダンスなので放射線治療の説明のみ。
つまり、10回照射します、とか、その後は経過観察なのです、なんて話があっただけ。
直ぐに病院から解放され13時には家に戻れたので、PMは仕事に戻った。

24年6月3日(月)

この日は、某内科診察、整形外科診察、CT撮り(お面はCTデータから裏で製造とのこと)

某内科の診察が11時なので、会社は全休になる。
しかし、この日はPMからどうしても外せない予定があったため、嫁さんに仕事を休んで頂き、
「行き」だけ自分が運転し送迎。病院へ付き次第、電車で家へ帰ってきた。
だから診察内容の詳細はわからない(一応嫁さんから聞き出しはしましたが。。。)

嫁さんが言うには、
某内科では「胸の穴についてもガンでしょう」との話。
まぁ胸については本人は痛くないとの事なので、「対応の優先度は低いです」と言っているし、先生も納得している。母自身にとっては首の痛みが一番の困りごとなのだ。
整形外科では、放射線治療の話があったのみ。
PMはCT撮影で、撮影が終わったらこの日は終了だったそうだ。

母が帰ってきたのは16時過ぎ。やはり11時開始でPMまでいるというのは、この日だけは自分では対応ができなかった。嫁さんには申し訳ない事をしたものだ。

嫁さんの多大なる協力に大感謝しかない。

さて、次は6月10日(月)、入院の日だ。
入院は午後の予約になっている。PM半休で対応する予定。
そこから2週間、24日までは母は家にいなくなる。

どういう結果になるのかは予断は許さないが、良い結果が出ることを期待している。

婆さんがいないからと言って楽になる訳ではない。爺さんもボケがあり、食事は用意しなければならないからね。

日々の日常

GW明けから母は首に激痛が走るようになったが、それは直近まで変わらない。。
何度も、御茶ノ水の大学病院へ通っているが、出ている薬は鎮痛剤のみ。
この鎮痛剤、近所の薬局では取り寄せになり置いていない。
いわゆる麻薬系の鎮痛剤なのだそうだ。

もはやロキソプロフェンでは全く効かない。

そして日々の食事だが、首に激痛がある状態のときは、ほぼ食事を取れない。
気持ち悪くて食べられないのだそうだ。

そして薬の影響もあり便秘がひどい。4日でないとかザラにある。
一応、酸化マグネシウムの便秘用の薬は出ているが、あまり効果は無いようだ。
便が出ないと体調も悪化し、食事も取れないので容態は悪化の一途になる。
そろそろ、下剤か浣腸をしてもらう必要があるかもしれない。


一方、日々の食事は朝、昼、夕、とほぼ3食、自分が作っている。
なお父(爺さん)もボケがきていて老衰状体で食事の量が大幅に減っている。
婆さんと食べる量はほとんど変わらない。

ごはんはピンポン玉1つ分位。
目玉焼きなら出来た目玉焼きを半分にする。
ソーセージは1本。メカブ、おしんこを微量出して、終わる。
作ること自体は全然問題ない。

しかし痛みで苦しい割には婆さんは、オカズはわがまま放題。
はんぺんは嫌だとか、さつま揚げは嫌だとか、困ったものだ。
で、特に水分の多い食べ物を食べたがる。

生のトマトとかスイカとか、普段はランチパックの卵サンドとか、
栄養面を考慮すると、肉、卵、牛乳、チーズ、は何らかの形で取らせてあげたい。
折れた骨が再生するとは考えてはいないが、もし再生するにしてもカルシウム、タンパク質が不足していると治るものも治らんだろうと思わせる。

そういうことを考えながら作らないと、、、、

自分の心が折れる。

介護手続きへ、、、

今は、婆さんは自分でトイレも行けるし風呂も入れる。しかし、相当に体力的にキツイい感じが見てとれる。
一方、爺さんの方は近所の方から「貰い物」をしても、誰からもらったのかとか、貰ったこと自体を「覚えていない症状」がしばしば見られる。
話をしても、なかなか理解が通じない。
このため、婆さんと爺さんは会話自体が成立しないことがよくある。
しかし、まだ爺さんはトイレも風呂も自分でできるし、医者も自転車に乗って行ける。
おそらく介護認定は難しいだろう。

で、6月4日の昼に、地域包括センターに行ってきて介護認定申請書をもらってきた。
「介護認定申請書」といっても、このブログ読者はほとんど知らないだろう。
自分も知らなかった。
介護保険を使い、デイケア(つまり他人による介護や生活補助)を受けるには介護認定が必要で、それには申請を行い、審査があり、その上で介護レベルが決まるのだそうだ。

一番軽いレベルは「要支援1~2」、重度になるのしたがい「要介護1~5」となっている。

要介護にならないと、各種のサービスを介護保険を使って受けられないそうだ。
なお、各種のサービスは全て有料だが、要介護だと保険適用なので1~2割の費用負担で済む。

そのための申請書を取ってきたということ。

その辺はおいおい語ろうと思う。

明日へ思う事、

婆さんは82歳、爺さんは87歳、
現在あらわれている様々な症状が、この先に良くなる見込みは皆無なのだということを、もっと自分は自覚しなければならない。悪くなる一方なのだ。

ボケというのは人の心を守るための防波堤になっているなんて聞いたことがある。
迫る死の足音は、絶対的な恐怖のハズなのだ。
死に一番近いところにいる後期高齢者は、その恐怖から自らの精神を守るためにボケると言われている。
一方、婆さんは首へのガンということでこちらも治る見込みがないものだ。
医者は明確に明言することがないのだが、ステージ4とか全然言われていない。
(診察には婆さん本人も同席しているので話すことは無いのだろうが。。。。)
NETで調べると、他の場所へ転移が見られるとステージ4なんて書かれているので

おそらく婆さんの場合もステージ4なのだろう、というよりそういう段階は既に超えている状態なのかもしれない。

自分に出来ることは、ただ父と母が穏やかな晩年を迎えられるように支援することだけなのだ。
寂しいことだが仕方がない。
誰でもその時は訪れる。


自分の両親にも、その順番が来ただけなのだから、、、

関東ラーメン食べ歩き 人気ブログランキング - グルメブログ
関東ラーメン食べ歩きブログの人気ブログランキングは数多くの人気ブログが集まるブログランキングサイトです。(参加無料) - グルメブログ

関東釣行記 人気ブログランキング - 釣りブログ
関東釣行記ブログの人気ブログランキングは数多くの人気ブログが集まるブログランキングサイトです。(参加無料) - 釣りブログ

PVアクセスランキング にほんブログ村

デハデハ

コメント

タイトルとURLをコピーしました