ガンと診断_続報2)母の病状_しばしの平和な時と介護認定審査員来場、そして地域包括ケア病棟への転院決定、

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家族
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24年6月12日(水)

概ね、週に2回ほど母の入院する病院に見舞いに行っている、
2回ほど行ってあげないと、飲み物が不足するので基本的には飲料の補充の意味合いが強い。
他にも病院に行けば行ったなりに医療機関側からの情報も期待できるからだ。

で、今回は12日の16時半位に嫁さんと見舞い訪問。
お茶のペットボトル4本を持って行った。

当然のように事前に婆さんには電話して「行くこと」を伝えてはいたのだが、行く直前に「今日は16時半から検査があるのよ」と言われてしまう。
だったら、そのことを連絡しろよ、、、と散々文句を言う。(いかんねぇ。。。)

婆さんはLINEはできないので、電話しかないのだが、けっこうマメに電話がある割には肝心な事は伝わってこない。
ちなみに、その連絡を受けたのは出発のために車に乗ったとき。
まぁ仕方ない、嫁さんと話し「とりあえず行くだけ行ってみますか、、、」ということで行くことにした。

なおここでいう検査とは、このとき自分は病理検査の事だと思っていた。
以前、担当医からは「首の骨のガン細胞を針で採取するのです」なんて事を聞いていたからだ。
だったら麻酔をかけるだろうし、検査が終わっても意識があるかどうかも怪しいので「行く意味」が全く無いんじゃないかとは思ったのだが、なんとか叔父がヤバい事を伝えておきたい、という目的を果たせなくても一応行ってみる事にしたわけだ。

病院到着。。。

16時20分に病室到着。既に婆さんの姿は無かった。予定では16時半と言われていたが準備等もあるだろうから少し早まったのか・・・・

なんて事を考えながら、お茶のペットボトル4本をテーブルに置いて帰ろうとする。
すると、看護師が寄ってきて「少々よろしいでしょうか?」と話があるような素振り。

看護師が言うには。。。
〇〇さん(婆さん)は直ぐに戻ってきますからお待ちください、なんて言っている。
「あれ?検査で首に針を刺すんですよね」と言うと、
「それは先日に終わっています、今は放射線治療を行っています。昨日から始まったんですよ」と意外なセリフ。

あれ?そうなのか。。。。全然聞いていなかったがまぁいいだろう。
看護師さんからは、今の部屋から移動する予定でしたが、〇〇さん(婆さん)が今の部屋が良いということで病室移動は取りやめになりました、なんて言っている。
ん、、、、今のお部屋、少々高いんですが、、、まぁいい。


で、婆さんが戻ってきて少し話を聞く。
放射線治療は、なんてことはないらしい。ウトウトするうちに終わっているそうだ。
で、叔父さんの話をする。
婆さんの兄の話なので思う所はあるだろうが、それはあまり表に出さない。
本人も見舞いに行って直接顔を合わせたいだろうが、それは難しいだろう。
とりあえずZOOMでの顔合わせをすることもできる旨を話し、看護師にも了解をとってこの日は撤収した。

24年6月15日(土)

この日は爺さんと嫁さんの3人で見舞いに行く。

持っていくのはペットボトルのお茶5本とinゼリーのマルチビタミン1箱。

婆さんの様子を見る限り実に元気そう。

放射線治療がもう何回か行われ首の痛みが、かなり治まっているんだそうだ。さらには毎日リハビリも行われているとのこと。このリハビリ、ベッド上で足を動かすだけらしい。

ん?歩かないの?って感じだが物には順番があるのだろう。

ただ起き上がろうとすると、流石に首が痛いようだ。

すでに病理検査は終わっているので、遺伝子解析までおこなわれ、その結果次第で抗がん剤が決まると医者は言っていたが、その後は全然音沙汰無し。まぁそのうち話があるのだろう。

爺さんは「ずいぶん顔色や表情が良くなった!」と嬉しそう。

うん、連れてきて良かったな。

24年6月17日(月)

朝、突然家電(いえでん)が鳴る。自分が取ると近所の内科医からだった。なんでも爺さんのボケっぷりを診断したいらしい。

で、夕方にその内科医へ爺さんを連れていく。

内科医では爺さんにいくつかの簡単な質問をしていくが爺さんはほとんど答えられない。例えば、「今日は何年何月何日ですか?」という質問にも答えられない。

「野菜の名前を思いつく限り言って下さい」との質問にはカボチャ、ナス、で他は言えなかった。

なるほど、これは深刻なんだな、というのが良く解った。

翌日は介護申請の審査員がくる、この現実を直視しなければならない。

それと、夜に婆さんの入院先である某御茶ノ水の大学病院から電話があり婆さんの病状報告があった。

病理検査では首の癌細胞を取り遺伝子解析との事だったが、癌細胞は取れたは取れたがほぼ死滅状態で遺伝子解析には至らず、とのこと。つまり首には癌細胞はほぼ無くなっているのだから、これは朗報なのだろうと思うことにした。で、放射線治療が終わり落ち着いたら再度癌細胞を取る事にチャレンジするか考えましょう、となった。

一方で放射線治療が終われば残りはリハビリのみなので、この病院はリハビリのみでは入院はできないそうだから、転院する事になります、と言われてしまった。

ま、家から近ければ転院もヨシなんだけどね。

月末にはハッキリするだろう。

24年6月18日(火)

朝の10時。介護申請の審査員がきた。
普段の爺さんの生活について質疑があった。
基本的に淀見なく答えてはいるが、事が直近の記憶の事になると答えられない。
普段の生活は問題は無い。トイレも風呂も食事も1人で出来る。
徘徊も無い。

う~ん、、、介護認定はされないかな。
通いのリハビリとか受けさせたいのだが。
一方で婆さんの方にも介護申請の審査員が行った模様。
いずれも結果は後日に書面で送られるそうだ。

24年7月2日(火)

実は、まだ介護認定の連絡はきておりません。

この間、見舞いを2~3回、毎週水曜日、土曜日に行き様子を見るとともに、担当医からの状況を聞いたりしています。

まず、放射線治療は終わっています。
6月25日には全10回の放射線治療は終わり、その後はリハビリに入っています。
このリハビリは寝たきり状態から、起きて歩けるようにするためのものです。
立って使う車いす(のようなもの)


↑ まぁ「買う」となるとけっこう高いわな。。。

これを使いながら歩く練習を行っているそうですが、横になっている時間が長かったこともあり、
頭を垂直にすると血が下がり貧血を起こすそうです。
まだ当分はリハビリに時間がかかりそうです。

そしてリハビリだけになり、治療そのものが終了してしまうと、この某大学病院にはいられないそうで、転院先ですが自宅から約1km程の病院で婆さんも知っている病院だし、友人もいるようだしまずは一安心です。しかしこの転院は「地域包括ケア病棟」と言いまして急性期にあった患者が在宅復帰や社会復帰を行うまでのリハビリを行う病棟の事を言い、規約で40~60日間しか入院できないそうです。
その日数が経過したら、施設(この場合は老人ホーム等)か帰宅になるんだそうです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そして、先日電話にて、婆さんの転院の連絡がきました。

7月8日に転院なのだそうです。もう日程調整とか何も無くほぼ強制で日程は決まってしまいました。転院先だけは自宅近くと希望は出しておいたので、希望通りの場所になったということです。

ちなみに、この前日と今日(すなわち7月2日)、爺さんが用意していた朝飯を食べていなかった。
そしてその用意した朝飯を11時に食べていた。
なんでも本人は「朝メシは食べたじゃないか」と言っている。
私が用意したメシを食べていないなら、何を食べたんだよ。。。。
いよいよ、認知症が牙を剥いてきた。
そんな状態が2日連続、
目の前で見ていたマコちゃんは背筋が凍ったそうだ。
マコちゃんにとって彼自身が初めて目の当たりにし自覚した認知症の症状だ。

そろそろ、GPSを用意して爺さんの持ち物に仕込む必要があるかもしれない。

なお某大学病院からの電話連絡で介護認定の結果連絡は7月11日頃になるとのこと。
おそいわなぁ。。。1か月以上だわ。

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