ガンと診断_続報)母の病状報告のハズが、いきなり修羅場となる、更には、、、

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修羅場は早くも来た。

先日の6月4日、このブログで母の病状の記事を書いた。この段階では、体調は良くはないものの、そんなに差し迫った状態にはなっていないという認識だった。
だから呑気に記事を書くことが出来たと思っている。

だが修羅場はいきなりやってきた。

24年6月5日(水)

この日は、病院へ行く予定もなく、翌日の6日は富山に出張である。
婆さんの病状は思わしくはないものの、即、何かがある状態でもない。
だから富山の出張は行くつもりで、嫁さんに着替えなどの用意をしてもらっていた。

時刻はAM9時半、なにか爺さんが呼んでいる。

???

階下へ降りていき年寄りの寝室に入る。
マジで卒倒するかと思った。
婆さんが血の海の中で寝ている状態。
どうやら婆さん、ベッドから起きて足を滑らし箪笥の角に頭ぶつけて出血。

その血の海の中で、仰向けになって倒れている。
意識はある、
15秒程考え込み、119番へ電話する。
最初は繋がらなかった。2回目にかけたら繋がった。
電話でインタビューを受けながら、氏名、住所、状況を話す。
一番の心配事は、首が半骨折状態なのに頭をぶつけて出血している事、
事態は一刻を争う、迷っている暇は無かった。

なお爺さんは何故自分を呼んだのか?
それは、血の海で倒れている婆さんを「風呂に入れさせるのに重くて持ち上がらないから手伝ってくれ」と言われたのだ。(ボケもかなりヤバいんだな、と、ここで相当自覚させられた。)

やがて、救急車が来て、、、、
このころには嫁さんも仕事場から呼び出し職場から帰ってきてもらった。
とにかく、自分は婆さんについて救急車に乗る。
心配そうに覗き込む近所の年寄りたち、

救急車は首のガンを重要視し、結局行先はお茶の水の某大学病院へ向かう。
約40分程で到着し、ER、救急救命室へ直行し直ぐに、、、、、

自分は待合室で待機。婆さんの頭の傷は縫合し約2時間程の後、入院するために病室へ移動。
自分も同行となった。

病室についた婆さんは意識が無く、看護師さんが呼びかけてもボ~~として返事をしない。
目は開いているが返事が無い。
かなりヤバいんじゃないか、と感じたが看護師さんは平気な顔をしている。
こういうとき、身内は何も出来ないし、何もするべきではない。

この段階で14時半頃(だと思った)ので、看護師さんに一言連絡を入れ、一旦家に帰る。
来るときは救急車の中だったので、帰りは電車だ。
(このときのHITは、慌てずに自分のスマホと財布は持って出たことだと思っている。)

お茶の水から電車に乗り小岩へ向かう。
17時には再度病院へ行かなければならない。
なぜなら、担当医から状況説明があるからだ。

もう時間との闘い。
と、いうのも「10日に入院」というのが、これまでの予定であったため、そのために用意していた入院セットを取りに行く必要があった。

着替え、歯ブラシセット、タオル等、保険証や介護保険症等は自分がいつでも持っている。
ボストンバッグに全てを詰め込み、婆さんのスマホとかも持ち、嫁さんを連れて再度病院へ、、、、

16時半頃、到着し病室へ行く。
このとき意識はあり、憎まれ口を聞くが、とりあえず心配はないだろう。
で、ペットボトルのお茶は寝たきりなので全然飲めないため、とりあえずストローを病院敷地内のコンビニに買いに行く。これでも厳しいよな。次回来るときは介護用の「寝ていても飲めるコップ」を用意しておこう。

17時過ぎ、病室の近くの病院の打合せ室のような場所で担当医から話がある。

その担当医からの話は割愛するが、あまり先に希望を持ているものではない、というもの。

ただコケタ時の傷、そのための首への影響は大丈夫みたい。(傷の部分の抜糸は10日後位らしい)

病室に戻ると婆さんは寝ていてたので、まずは病院にお任せし我々は引き上げる。
次はいつ病院へ行けばいいのか?
それがこの時はわからないのだが、おそらく翌日再度になるのだろう。

なお富山の出張は急遽中止。仕事の相棒には大変申し訳ないことをしています。
当然と言えば当然なのだろうが、申し訳ない。

24年6月6日(木) am5:00

前日は修羅場だった。あの書き方でも実はソフトな書き方をしている。
本音はもっと壮絶な現場だった。何が壮絶だったのかは、いつか語れる時も来るだろう。

で、入院した翌日に「行かなければいけないよな、」という思いもありつつ、

6日am5時に自分の電話が鳴る。

まぁ起きてはいたのですが、電話に出ると、婆さんでした。
何を言いたいのか全然わからなかったのですが、要約すると「水が欲しい」とのこと。
なんでも全然飲料を飲めていないのだとか、そういえば救急車だったので婆さんの財布すら持っていないんだよな。(ペットボトルは用意はしていたが寝たきりなので本人のチカラでは飲めないのだ。)

で、容体を聞くと、頭は痛いが大丈夫、便秘も解消されている、首は寝たきりなので痛くない、
などなど、いくらか快適な様子。
ただ喉が渇いた、ということ。そんなの看護師さんに言えばなんとかしてくれるんじゃないの?
と思うが、まぁそこでブーブーいっても仕方ないので「じゃ、午後に行くよ」と言い残し、電話は切る。

で、会社は、もう何回目かの半休を取り、仕事はamで切り上げ、即買い物。
「介護用コップ→ダイソーにあります。」ペットボトル8本、財布等必要な物を持参し、
爺さんを連れて病院へ、
見舞いの面会は15分という病院ルールがある(別に15分なんか計測はしていませんが。。。)

まずはお茶を介護用コップに入れ飲んでもらう。たぶんこれで喉の渇きは癒されるだろう。
次は、介護申請の書類へのサイン。
今回、あらためて介護保険を使い、デイサービスとかの活用を考えなければならなくなった。

で、婆さんはおそらく首の障害もあるため、問題なく審査されるだろう、
だが爺さんはどうか?ボケがきているとはいえ、普通に家の中では生活できているし、
自転車に乗って医者にも行く。
出来ないのは、医者の予約確認と会話時の認識不足位だ。。。

まぁ、どのレベルになるかはわからんが、それはそれで仕方ない。

なんて事を病室内で考えながら、ペットボトルとか必要なものを置いて家族(婆さん、爺さん、自分)で話をし、適当な所で切り上げた。

帰りは地域包括センターへより、介護認定申請書を提出。
この先1か月、審査員がくるときが勝負になる。

24年6月8日(土)病院見舞い と 我が家に従妹がやってきた

7日金曜日、婆さんから電話がある。
「水、いやお茶がいいわ、追加で買ってきてくれ、」とのこと。
だんだんワガママになってきているな。まぁいい。元気な証拠だ。
ワガママが出ているうちは心配はない。
だから、8日土曜日、嫁さんを連れて病院へ向かう。
見舞いは13時以降でないと受け付けられない、というルールのようなので14時ごろに行った。
このとき持っていったのは、ペットボトルのお茶4本、それくらい。

病院には行ったが、「今日は久しぶりに平和だわ。。。。」

なんて思っていたが、家に帰り寛いでいると、珍しく従妹が叔母を連れて我が家に来た。

この段階では、我が家の婆さんの容体を心配してきたのかと思っていたのだが、どうも様子が違う。
婆さんの容体は多少は聞いてはいたが、5日に倒れて救急車なんてのは知らなかった模様。
かなり驚いていた。

さて、この叔母は母方(つまり我が家の婆さん)の旦那の奥様。つまり旦那が婆さんの兄貴にあたる。
私から見て叔父だ。
叔母の方は、ほとんど口を挟まなかったが、従妹(自分より3つ下の女性)が言うには、
「父(私からみて叔父)が、癌で来月一杯は持たない」とのこと。

婆さんから多少は聞いてはいたが、そんな病状だったのか、

やはり我が家同様に4月頃からの体調悪化から検査等を経由し急激に悪化した模様。
すでに手の施しようも無く、今は抗がん剤、痛み止めを処方され終末医療体制に入っているのだとか。
自分もだいぶ世話になった叔父なのだが、そういえばもう何年か同行を聞いていなかったよな。

従妹に至っては、会って話をするのは20年ぶりくらいか。

よく我が家まで車でこれたものだ。
なんでも叔父の容体が悪く、時間も無いため繋がりのある婆さんに電話しても全然繋がらない。
爺さんと話しても埒が明かない、さりとて私に電話したくとも電話番号がわからない、
ということで遠い記憶を頼りに直接出向いたのだそうだ。

そうか、あの叔父が逝くのか、

まだ意識はあるため何とか妹である婆さんと連合いの爺さんとを意識のあるうちに会わせたい、という思いがここまで彼女を動かしている。
自分も同じ思いだが、はたして婆さんは見舞いに行けるかどうか。。。。

おそらく退院は7月になるだろう。
担当医からは病理検査(がん細胞を取り出し遺伝子レベルでの検査を行うこと)を行い、放射線治療は少々(数日レベルで)延期になりそう。放射線治療は10回なので、どう考えても終わるのは6月末。前後してリハビリ(今は寝たきりなので歩くためのリハビリが必要)の目途が立たないと退院もできない。

かなりギリギリだが、まずはそのことを婆さんに話すのが先決だ。
次回病院へ行くのは12日pmの予定。

まとめ

6月5日の「箪笥の角に頭をぶつけて救急車」はまさしく修羅場だった。
自分が救急車を呼んだのは2度目だと思う。
1度目はまだ20代の頃、会社の要件でドライブ中、前を走っている車が居眠りで対向車線にはみ出し正面衝突したときだ。
このときは通報しただけだが、今回は救急車に乗りましたからね。
血の海の中で倒れている婆さんを見たときは卒倒しましたよ、

そして叔父の状態についてもショッキングな事だ。
今の自分も57歳なのだから、親世代は皆80代な訳だから、そりゃ終わりが近い人もいますよ。
いつか自分も同じようになるんだから、気持ちだけは覚悟を持ち、息子のマコちゃんに何かを伝えることができれば、まずはいいかと感じています。

なお全く以って、会社には迷惑をかけているが休むことが出来て感謝しかない。
今後も、かなり半休、全休と予定が入ってしまうのだが、申し訳ありません。
有休自体はけっこうありますので取らせていただきます。

もうここ1~2か月は出張は入れず全てキャンセル。東京に居ることにします。

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