前回の近況からわずか数日で劇的に変わった、
前回近況を書いたのは、5月23日だった。
あのときは、婆さんが肺がん確定ということで、またエスワンという抗癌剤を飲むのだろうとか、肺に穴が空いているとかの話をしましたね。
あれから大きく状況は変わってきました。
つくづく思うのは看護師ってスゴいのだということ。
以前、婆さんが倒れた時、訪問看護の方が婆さんが便秘で便が出ない、という状態のとき、肛門から指を入れて中の便を掻き出す、ということを行い便秘の回避をしてくれたりした。
看護師はプロなんだから、当たり前という意見もあるし、それができるから看護師なんだ、という意見もあるだろう。
だが素人の自分が苦しむ婆さんを前にして、「出来るのか?」と言われると、まずでデキない。出来るものではない。と思う。
看護の精神的にキツいのは苦しむ親の姿を目の前にすることもあるが、それ以上に親の排便を始末しなければならない事かと思う。
それを嫌というほど、今、味わっている。
6月16日(月)
この日、自分は仕事で1泊2日の出張で三重県に朝から向かった。
仕事そのものは、三重県にある某発電施設を視察し、まぁ何の問題もなく終わった。
時刻は20時半頃、このとき自分は会社の方々と居酒屋で飲んでいた。
出張すると現地の会社関係者を酒を飲む事なんて普通にある。そういつものことだった。
で、何回かスマホが鳴っている事に気づく。
電話は嫁から。。。。
「婆さんが買い物に行ったら転んで頭打って、救急車を呼ばれている。」
実はうちの婆さん、転ぶことが珍しくない。
1年前に入院したときも、転んで頭をタンスの角にぶつけ、血みどろになり、そこから入院生活に入った。
その入院中も3回転び、顔や頭に痣を作っている。
もううちの婆さん、頭の防衛本能が働かないのだ。
普通、転ぶときはとっさに手が出て頭をかばうのが人間の本能のハズ。
その本能がすでに無くなっている。転ぶと顔から地面にツッコむのだ。
だから頭を切り、血みどろになる。脳震盪を起こし脳が委縮し、認知症が進行する。
悪循環なのだ。
自分としては、この婆さん、転んで頭打って、いつかそれが原因で死ぬ時が来ると感じている。
それくらい転んで頭を打っている。
でも、他人がそれを防ぐ手立ては無いのだ。なんたって婆さん、人が何を言っても目を離したすきに勝手に買い物とかに出かける。
そりゃ、家に閉じ込めておくわけにもいかないし、そんな事を聞く耳を持つ人ではない。
だから、いつか「何があっても仕方がない」のだ、と思うことにしている。
で、この婆さん、この6月16日から近所の病院に入院しているのだが、6月27日の今日現在、まだ退院していないし、退院日も聞けていない。
何故かというと、今、入院しているのは肺癌の検査をやった病院なので、今の入院は頭の怪我による入院ではなく、肺がん関連の肺の穴に関する血痰症状に関する入院になっている。
かなりの栄養失調もあり、日々点滴を打ち、抗生物質の投与を行われているらしい。
まぁ週に1回程度、この婆さん、私に金の無心をしてくるので毎週1万円程支給に見舞いに行く。
それ以外は本人から「こなくていい」と言われている。
毎週1万円って「金使いすぎだろ、入院患者が何を金使う用があるんだよ、」と思うが、病室のTVを見るのに1000円のTVカードが11時間で消耗するのだそうだ。
基本的に寝たきりだとTVはつけっぱなし、1日で2枚のカードを消耗する。
なんと贅沢な。。。と思うが仕方がない、明日、金を持って行きつつ見舞いにも行くとしよう。
で、婆さんはこんな感じで今は特に心配は無い。
問題は爺さんなのだ、、、
ちなみに6月16日の出張は、この日は帰る方法が時間的に無くなっていたので、
翌日の17日、全ての仕事を放りだし、AM5:41始発の特急に乗りAM10時には小岩に戻ってきた。
6月25日、それは突然始まった、、、
婆さんがいないのだから爺さんの食事とかの一切合切は私が面倒を見るしかない。
日々の食事、洗濯、お茶出しを私が行うことになった。
それそのものはいい、なんとでもなる。
ただこの爺さん、極端に食欲不振。
以前は20時間寝ているなんてときもあり、それは今も変わらないと思うのだが、
6月25日、この日は水曜日なのでデイサービスの日。
昼に爺さんを送り出し、夕方に帰ってきた。
爺さんのデイサービスの目的は「風呂」。1月頃、風呂の中で意識喪失があり、それ以来、家で風呂に入れるのは無理と判断した。
それゆえデイサービスを週2日設定し、その時に風呂に入ってもらっている。
この生活サイクルは非常にうまくいっていた。
で、この日デイサービスから夕方に帰り、爺さんに夕飯を出してあげた。
茶碗半分のお粥、魚の甘露煮少々、切り干し大根、温泉卵、それとホットのお茶、
普通の大人の食事量からしたら、3分の1程度だろうが、本人はこれでも一杯一杯。
で、18時頃には食べ終わったのだが、どうにも様子がおかしい。
そこから爺さん、トイレに駆け込み出てこない。
出てきたと思ったら、またトイレに戻る。
これを22時までトイレと洋間の往復を20回程行っていた。
つまり下痢なのだ。
下痢便って、ものすごく臭いんです。
我が家の1階のトイレ周辺はもう臭くて臭くて。。。。。
下痢となると時に糞便をその辺りに巻き散らすことになる。
当然その後処理は本人がやる訳もなく、私の役割になる。(嫁にやらせられないしね~~)
22時過ぎ、すごい臭いの中、糞便をふき取り、汚れた衣類の洗濯を行い。。。。
精神的にも極端に消耗しながらも、その日はなんとか終わった。
だが、翌日26日は昼から爺さんの下痢モードが始まった。
この日は起きたのがそもそも昼で、シュークリームを食べさせ、お茶を飲ませ、、、といううちに
トイレに行くようになる。あの壮絶な臭いが立ち込める。。。
この日は、目立ったお漏らしは無いようだったが、衣類がすごい臭いを放っている。服のどっかに付いているんだろうな、、、
と思いつつ着替えさせて洗濯を2連発。
なんとか21時頃には落ち着いて寝てくれたようだ・・・
そして27日(金)
やはり昼に起きたと思ったらトイレにかけこむ。また下痢のようだし本人に聞いても下痢と言う。
この日は夕方から近所の内科の医者で健康診断がある。
そのついでに下痢の事を相談。
出るものを全て出るまで下痢止めはやめておいたほうがいい、という診察で、当面はこの下痢と闘わなければならないとまた凹む。
爺さん、医者から家に帰ってもトイレに駆け込み出てこない。
出てきたと思ったら、またトイレ、これを7~8回繰り返し、出るものが無くなったようで、
なんとか寝てくれた。
ちなみに前日からパンツタイプのオムツを履かせている。
今日は、シーツにお漏らしをしてくれたので、シーツを引っぺがして濡れティッシュで擦り、洗濯機へ。。。。
壮絶な臭いの中、そろそろいい加減気が狂いそうになってきた。
どこまで、これが続くのか。。。
3日間連続で下痢なので、明日も下痢だろう、当面続くのかもしれない。
頼りの内科医が、「しばらく様子見てください」とのことなのでもう医者に求めることもデキない。
介護は、親が衰えていくのを見続けるのが痛々しくて耐えられない、という人も多いだろう。
しかしそれ以上に親の糞便処理を日々するのも、これはかなり精神に堪える。
それも終わりが見えているわけではない、ずっと続くかもしれないのだ。
なお爺さん、すでに認知症が進み、糞便処理を私がしようが、食事を出そうが、何をしようが反応が何一つ無い。
済まないな、という気持ちを出すこともなければお礼を言われることもない、
黙ってぼ~~っとしているだけ。これがかなり堪える。
おそらく半月後位には婆さんが退院してくるだろう、
そのとき、婆さんが爺さんの面倒を見てくれればまだ救われるが、その可能性は限りなく低い。
婆さんは、まず歩くことすらままならず、日々の食事から片付け、買い物も何もできないだろう、
せめて自分のオムツ位は自分で変えられるようであってほしいものだ。
でないと、もう私、折れそうですよ。。。。
でも、こんなの、、、、まだまだ甘いんだろうな、
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